ゴジラ-1.0の最後の敬礼はなぜ?浜辺美波の首のあざはなに?

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ゴジラ-1.0の最後の敬礼はなぜ?浜辺美波の首のあざはなに? バラエティ

※ネタバレがありますのでご注意ください。

ゴジラ-1.0は2024年第96回米国アカデミー賞で視覚効果賞を獲得した山崎貴監督の話題作ですが、最後のシーンで登場人物みながゴジラに敬礼するのはなぜでしょうか?

ゴジラは日本の街を破壊し多くの犠牲を出した憎むべき害獣・敵だったのではないのでしょうか?

また、同じくラストで生存して再び登場した典子役の浜辺美波の首筋に出たあざはなにでしょうか?

このあざはわずか1秒程度の映像で映画では説明すらありませんでしたが、典子が生きていた理由や今後の続編の可能性などにも繋がるさまざまな解釈が可能な、多くの示唆に富むトピックスです。

ゴジラ-1.0は米国で日本映画としては異例のヒットとなり、最終興収は5641万ドル(約84億円@150円/$)超で邦画実写で歴代最高北米興収を記録しています。

この記事ではゴジラ-1.0で登場人物のゴジラへの最後の敬礼がなぜなのか、浜辺美波の首のあざはなにか、考察してまとめてみました。

ゴジラ-1.0の最後の敬礼はなぜ?

最後のシーンで人々が崩れゆくゴジラに敬礼する理由は、ゴジラが単なる怪獣・破壊者としてだけではなく、人類が畏怖し、自然の力を象徴する存在として描かれているからなのでしょう。

この敬礼は、突然現れて破壊の限りを尽くし多数の犠牲者を出したゴジラへの恐怖と同時に、その謎多く不可解な存在への畏敬や末永く鎮めるための尊重の気持ちを表現していると解釈されます。

この映画でのゴジラとは終戦直後の日本での抗うことのできない大きな力の象徴であり、彼らがそれを受け入れざるを得ないことを示しています。

この大きな力とは何か、様々な解釈が可能ですが、山崎監督が描きたかったのはやはり原作の理念を忠実に継承し、戦争と核兵器だったのではないかと私は感じました。

ゴジラは荒ぶる神か

山崎貴監督はAP通信の取材に対し「ゴジラは半分怪獣ですが、半分神でもあります」と答えています。

映画ゴジラ-1.0において、山崎貴監督はゴジラを「荒ぶる神」として描いていると思われます。

この設定は、日本の「祟り神(たたりがみ)」の概念に基づいており、善悪の両面を持つ神を表現しているのでしょう。

山崎貴監督は、ゴジラを単なる破壊者としてではなく、戦後の日本にとって圧倒的な力を象徴する存在として描こうとしたのではないでしょうか。

特に、戦後の日本がすでに大きなダメージを受けた中で、ゴジラの登場はさらなる試練を意味しており、ゴジラは自然災害や核兵器のメタファーとして捉えられているようです。

山崎貴監督は、ゴジラを「殺す」対象というより、「鎮める」べき存在とし、彼に対する畏敬や敬意が込められていると説明しています。

海神(わだつみ)作戦はヤマタノオロチを鎮めたスサノオ神話の引用か

海神(わだつみ)作戦はゴジラと日本神話に登場するスサノオがヤマタノオロチを退治する伝説との関連性について比較して考えると、類似点が見られます。

特に、ゴジラが荒ぶる神や自然の力の象徴として描かれている点は、日本神話のヤマタノオロチの伝説に通じるものがあります。

ヤマタノオロチは、スサノオに討たれる巨大な蛇の怪物として知られていますが、神話の中では破壊と混沌の象徴です。

スサノオがその存在を鎮める行為は、自然の力に対する人間の対峙と共存の象徴として読み取れます。

ゴジラも同様に、自然や核の脅威を象徴する存在であり、その圧倒的な力を「倒す」というより「鎮める」ものとして描かれています。

山崎監督がゴジラを「荒ぶる神」として描く意図も、スサノオがヤマタノオロチを鎮める神話になぞらえているものなのでしょう。

ゴジラを「倒す」のではなく、敬礼や畏敬の念を示して「鎮める」(沈める)シーンは、まさに神話的な要素を現代の怪獣映画に重ねて表現していると解釈できます。

ゴジラ-1.0ラストで浜辺美波の首のあざはなに?

2024年4月28日「ゴジラ・フェス大阪」が開催され、山崎貴監督があのあざがゴジラ細胞「G細胞」であることを明言しました。

典子の首のあざが「G細胞」であるとの見解については、ゴジラシリーズにおける「G細胞」が特異な再生力や進化を象徴する要素であるため、あざがその影響を受けたものと解釈できるでしょう。

典子がその影響を受けている可能性は、シリーズのSF的な側面からも納得のいくストーリーです。

G細胞はゴジラのDNAに関わる設定で、典子がそれによって特別な力や運命を持つことに繋がり、今後の続編への期待をにじませるものでもあります。

典子役の浜辺美波が生きていたのはG細胞のせいか?

典子の首のあざがG細胞によるものだとすると、ゴジラによる放射熱線の爆風で吹き飛んだにもかかわらず生きていた理由も納得できます。

映画「ゴジラ」シリーズにおけるG細胞とは、ゴジラの細胞であり、異常な再生能力と進化の力を持っているとされています。

G細胞は極めて強力で、通常の生物が持たない高度な再生能力を与えるものです。

もし典子がG細胞の影響を受けていたとすれば、彼女が生き延びた理由は、その細胞が持つ「再生能力」や「超常的な回復力」によるものだと考えられます。

G細胞が彼女の身体に何らかの形で浸透し、傷やダメージを即座に回復させたのでしょう。

ゴジラ自体が破壊的な攻撃を受けてもすぐに再生するように、典子もG細胞の力で致命的なダメージを回避し、生命を維持できたという解釈が成り立ちます。

また、G細胞はただ単に回復力を高めるだけでなく、進化の過程を加速させる能力も持っているため、彼女の身体がその過程でさらに強化され、生存できた可能性もあります。

ゴジラ-1.0を観れる配信はどこ?

現時点ではアマゾンプライムで独占配信されています。

プライム会員になることで見放題となるプライムビデオで観ることができます。

配信元タイプ料金リンク
プライム会員独占配信月額600円Amazon Prime

ゴジラ-1.0の最後の敬礼はなぜ?浜辺美波の首のあざはなに?まとめ

映画「ゴジラ-1.0」の最後のシーンで皆がゴジラに敬礼するのはなぜか、典子役の浜辺美波の首のあざはなにか、考察して記事にまとめてみました。

最後の敬礼はゴジラを憎むべき敵ではなく、鎮めるべき神として畏敬の念が現れたものだったのです。

もう2度と蘇るなよという祈りも含まれていたのだと思います。

そして、浜辺美波の首のあざはゴジラ細胞「G細胞」による影響を受けたものと解釈してよさそうです。

典子があの爆風にもかかわらず生きていた理由も納得できるものになります。

また、最後のシーンで海中でゴジラが再生しようとする変異の様子がわずかながら描かれており、今後の続編も期待されるところです。

続編は「ゴジラ-1.0」の次でオリジナルの原作に繋がる前の話になるので、さしづめ「ゴジラ0」とでも言うべき作品になることでしょう。

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