呪術廻戦は9月に連載が完結しコミックスはシリーズ累計発行部数が1億部を突破しましたが、同じジャンプコミックで先輩格の鬼滅の刃も1億5千万部と大ヒットしており両者とも大人気コミックです。
その、呪術廻戦と鬼滅の刃が似てる、との指摘がところどころで見受けられます。
この記事ではどこが似てるのか解説したいと思います。
併せて、両者の共通点や違いについても解説します。
呪術廻戦も鬼滅の刃も既に一部アニメ映画化されていますが、今後シリーズ続編が予定されており、まだまだ人気が続くものと想定されます。
共通点や違いを押さえて、アニメ鑑賞などをするとぐっと楽しめると思います。
ぜひ参考にしてください。
呪術廻戦と鬼滅の刃は似てる?共通点は?
「呪術廻戦」と「鬼滅の刃」は、物語の構成やキャラクターのストラクチャーにおいて、いくつかの共通点が見られます。
ここでは、両作品の物語の進行やキャラクターの役割において、どのように似ているのかを詳しく解説していきます。
主人公の使命と強大な敵
まず、両作品の主人公は、極めて強大な敵と戦わざるを得ないという共通の境遇に置かれています。
「鬼滅の刃」の竈門炭治郎は、鬼となった妹・禰豆子を救うため、そして鬼舞辻無惨という絶対的な悪を倒すために戦いに身を投じます。
一方、「呪術廻戦」の虎杖悠仁も、両面宿儺という圧倒的な呪霊と自らの体内で共存することを余儀なくされ、その呪いを鎮めるために戦わなければならない運命を背負います。
両作品に共通するのは、主人公が自身の意思ではなく、外部から課された大きな使命を背負って戦いに参加している点です。
彼らは、単に強力な敵に立ち向かうのではなく、自分自身や家族、仲間の運命を左右する戦いに挑んでいます。
この構造は、物語全体に緊迫感と感情的な重みを与えており、観客を引き込む要素となっています。
強力な敵の存在と階層的な対立構造
「鬼滅の刃」も「呪術廻戦」も、倒すべき敵が単なる悪役ではなく、強大な力を持つ存在であり、物語の核となる対立構造を形成しています。
「鬼滅の刃」では、鬼舞辻無惨が頂点に君臨し、その配下に十二鬼月という強力な鬼たちが存在します。
物語が進む中で、竈門炭治郎たちはこの強力な鬼たちと次々に戦うことになり、鬼舞辻無惨という最終的な目標に向かって物語が進行します。
一方、「呪術廻戦」では、両面宿儺や特級呪霊といった強力な敵が登場し、その階層的な敵との戦いが繰り広げられます。
呪術師たちはこれらの呪霊と戦いながら、背後に潜むより大きな脅威や陰謀に立ち向かっていく構図が展開されます。
敵の強さが階層的に設定されているという点が両作品のストーリー構成に共通しており、主人公たちが段階的に成長しながら、より強大な敵に立ち向かうというシナリオが展開されます。
この「倒しても次に強い敵が待っている」という階層構造は、物語をスリリングで継続的に魅力的なものにしています。
主人公を支える強力な仲間たち
両作品とも、主人公が単独で戦うのではなく、頼もしい仲間たちに支えられている点も大きな特徴です。
「鬼滅の刃」では、竈門炭治郎は鬼殺隊のメンバーとして、仲間である善逸や伊之助、そして柱と呼ばれる最強の剣士たちと共に戦います。
特に柱たちは、それぞれが独自の技術や能力を持ち、物語の重要な局面で大きな役割を果たします。
「呪術廻戦」でも、虎杖悠仁は呪術高専の仲間である伏黒恵や釘崎野薔薇、さらには強力な呪術師である五条悟のサポートを受けながら戦います。
特に五条悟は、物語の中で最強の呪術師として描かれており、彼の存在が戦いの行方を左右することもしばしばです。
このように、主人公が仲間との協力によって強敵に立ち向かう構造も、両作品に共通しています。
仲間たちそれぞれが独自の背景や能力を持ち、物語に多様性と深みを与えている点も、ファンにとって大きな魅力となっています。
感情的な成長と自己犠牲
「鬼滅の刃」も「呪術廻戦」も、主人公の成長と自己犠牲のテーマが物語の中心に据えられています。
竈門炭治郎は、家族を鬼に殺された過去を持ち、妹を人間に戻すために戦い続けます。
彼の戦いは、単なる悪との対決ではなく、愛する者のために自己を犠牲にしてでも戦い抜く覚悟が描かれています。
この自己犠牲的な精神は、物語の中で何度も強調され、観客に感動を与えます。
一方、虎杖悠仁もまた、両面宿儺という呪霊を宿したことで、いつか自分が暴走するかもしれないという恐怖と戦い続けています。
それでも、自分の命が危険に晒される状況でも、他者を救うために行動する姿勢が描かれています。
彼の自己犠牲的な行動は、仲間たちとの絆を深め、物語に感情的な厚みを加えています。
自己犠牲を通じた成長というテーマは、両作品に共通する要素であり、主人公たちが戦いを通じて自らの限界を超えていく姿が感動的に描かれています。
戦闘と成長を描くテンポの良さ
両作品とも、戦闘シーンが物語の重要な部分を占めており、そのテンポの良さが視聴者に強い印象を与えます。
「鬼滅の刃」では、竈門炭治郎たちが鬼と対峙するたびに、新しい技や戦闘スタイルが披露されます。
特に、水の呼吸や日輪刀といった設定が巧みに織り込まれ、戦闘のたびに新たな要素が追加されることで、物語の進行がスピーディーで飽きが来ません。
「呪術廻戦」でも、呪術師たちが使用する呪力や領域展開といった独自の戦闘システムが物語の中で展開されます。
これらの戦闘はビジュアル的に魅力的であり、観客にインパクトを与える場面が多いです。
各キャラクターの成長も戦闘を通じて描かれており、戦いが単なるアクションシーンではなく、キャラクターの成長を示す重要な要素となっています。
戦闘シーンが物語の中心にあり、成長や新たな技の開発がテンポよく描かれる点も、両作品に共通するストラクチャー的な要素です。
「呪術廻戦」と「鬼滅の刃」は、強大な敵との戦い、主人公の使命、仲間との協力、自己犠牲を通じた成長といったテーマにおいて、非常に似た構造を持っています。
それぞれの作品は独自の世界観やキャラクター設定を持ちながらも、物語の骨格としてこれらの共通要素を取り入れており、それが作品全体に緊迫感と深みを与えています。
ファンにとっては、これらの共通点が両作品の魅力を倍増させる要素となっていることでしょう。
呪術廻戦と鬼滅の違いを解説!
前述したように「呪術廻戦」と「鬼滅の刃」は、ストーリーやキャラクターの設定に多くの共通点がある一方で、それぞれの作品が持つ異なる独自の要素も存在しています。
両者が異なる点、違いを具体的なシーンやキャラクター、テーマを基に解説します。
主人公の動機の違い
まず、両作品の主人公である虎杖悠仁(呪術廻戦)と竈門炭治郎(鬼滅の刃)の動機が異なります。
鬼滅の刃で竈門炭治郎は、家族を鬼舞辻無惨に皆殺しにされ、唯一生き残った妹・禰豆子が鬼にされたことから、彼女を人間に戻すために戦います。
彼の戦いは家族愛が中心にあり、全ては「妹を元に戻す」という個人的な動機が物語の軸です。
彼の「俺が妹を守る!」という強い決意は、ストーリーの根幹を成しています。
一方で、呪術廻戦の虎杖悠仁の動機はより抽象的で、「人を救う」という広い意味での正義感が中心です。
彼が「呪術師」として戦う理由は、祖父の「人は人を助けなければならない」という言葉に由来します。
彼の動機は自分の存在意義や人間としての使命感に根ざしており、個人的な復讐や家族愛とは異なるものです。
このため、虎杖はしばしば「自分は本当にこの道を歩むべきなのか」と葛藤し、「ただの呪いの器ではないか」と自問する場面が多いです。
世界観と設定の違い
次に、世界観や設定の違いです。「鬼滅の刃」は大正時代を舞台にしており、鬼という存在が主に人々を脅かしています。
鬼殺隊という組織があり、竈門炭治郎たちはそこで訓練を受け、刀で鬼を倒すという明確なルールが設定されています。
鬼は夜にしか行動できず、日光で滅びるという独自の設定があるため、物語の舞台も夜に集中することが多く、自然の中での戦いが繰り広げられます。
一方、「呪術廻戦」は現代日本を舞台にしており、呪いという形で人々に災厄をもたらす存在がメインの敵です。
呪術師は一般人には見えない呪霊と戦い、日常と非日常が混ざり合った世界が描かれています。
特に「呪いは人間の負の感情から生まれる」という設定が重要で、人々の心の中に潜む恐怖や憎しみが呪霊を生み出します。
これにより、戦いの舞台が学校や病院など、現代社会の日常的な場所に設定されることが多く、リアルな世界とのリンクが強いです。
戦闘スタイルと技の違い
「鬼滅の刃」では、戦闘スタイルが剣術に基づいており、竈門炭治郎たちは刀を使って鬼を倒し、呼吸法という技術を駆使して戦います。
それぞれのキャラクターが異なる呼吸法を使い、風、炎、水などの要素を視覚的に表現した技が特徴的です。
特に竈門炭治郎の「水の呼吸」や「ヒノカミ神楽」は、視覚的に美しく描かれ、戦闘の演出が非常にスタイリッシュです。
一方、「呪術廻戦」の戦闘は、呪力を使った戦いが中心です。
虎杖は主に肉弾戦で戦いますが、他のキャラクターは呪術的な能力を駆使して戦います。
特に五条悟の「無下限呪術」という技や、伏黒の式神召喚など、戦闘スタイルが非常に多様で複雑です。
また、特に領域展開という特殊技法は、敵味方双方が使用し、戦闘のスケール感や緊迫感を一気に高める重要な要素です。
このように、技や戦闘スタイルの複雑さや、多彩な演出が「呪術廻戦」の特徴です。
敵キャラクターの描かれ方
敵キャラクターの描かれ方にも違いがあります。
「鬼滅の刃」では、鬼舞辻無惨をはじめとする鬼たちが、明確に悪として描かれますが、その多くはかつて人間であり、彼らが鬼になる前の悲しい過去がしばしば描かれます。
例えば、累や妓夫太郎、猗窩座など、鬼たちは過去に人間としての苦しみや悲劇を経験しており、彼らが悪へと堕ちていく理由が詳細に語られます。
これにより、敵にも共感できる部分があるのが「鬼滅の刃」の特徴です。
「呪術廻戦」では、呪霊や呪詛師が主な敵として描かれますが、彼らは基本的に人間ではなく、人間の負の感情から生まれた存在です。
そのため、彼らに共感する場面は少なく、恐怖や憎悪の象徴として描かれることが多いです。
特に真人は「人間は弱く、くだらない存在だ」と人間そのものを否定するキャラクターであり、純粋な悪意と快楽で行動します。
敵キャラクターに対する感情移入の余地が少ない分、戦闘自体に焦点が置かれるのが「呪術廻戦」の特徴です。
物語の進行とテンポ
「鬼滅の刃」は、竈門炭治郎の鬼殺隊としての成長と、鬼舞辻無惨を倒すまでの一貫した物語の進行が特徴です。
終わりが見えているストーリーで、鬼を一人ずつ倒しながら最終的な目的に向かって進む形式です。
「呪術廻戦」は、虎杖の成長や物語のゴールが連載中には明確に見えていないので、より連続性のある展開が強調されています。
呪術界の暗躍や、他の呪術師たちの動向など、さまざまな勢力が入り混じりながら、複雑に物語が進行していく点が異なります。
「呪術廻戦」と「鬼滅の刃」は、多くの共通点がありながらも、主人公の動機や世界観、戦闘スタイル、敵キャラクターの描き方において異なる要素が見られます。
呪術廻戦と鬼滅の刃は似てる?共通点と違いを解説!まとめ
大人気コミックスの「呪術廻戦」と「鬼滅の刃」が似てると指摘されている点について、共通点と違いを解説する記事にまとめました。
強敵が相手である点は呪術廻戦も鬼滅の刃も共通点ですよね。
ただ、主人公が戦う理由が虎杖が世の中の人を助けるためであることに対し、竈門炭次郎は妹・禰津子を救うためであり、動機が違います。
呪術廻戦と鬼滅の刃が似てると言われるポイントもいろいろありましたが、それぞれが独自のオリジナリティ溢れるポイントもあり、ファン層も異なっていることでしょう。
筆者は鬼滅の刃を読んでいて最終巻では泣いてしまいましたが、呪術廻戦では泣けませんでした。
これからアニメ公開も予定されているので楽しみですね。
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